当ブログ内で年末年始に役立つ記事まとめ【片付け・クリスマス・お正月・ホリデーシーズン】

20代で死にかけた経験をしたあとの世界

 

 

「どうしてそんなに頑張れるの?」と聞かれることがたまにあります。

私はブログやドイツ語学習、資格の勉強など、何かのコミュニティや学校に所属せずただ一人で続けてるのですが

「自分だったら人の目がないと続けられない」「私はそんなに自分に厳しくなれない」

という反応をする人がかなり多いのです。

自分としてはまだまだ甘ちゃんだと思うのですが、事実としてよく驚かれます。

 

なぜ私が頑張れる(やるべきことをやり続けられる)のか。それは「死にかけた経験があるから」だと思います。

死にかけた、というのは比喩的な意味ではなくて本当に死にかけたのです。

あれは数年前…盲腸になりましたが発見が遅れ、もう少し対応が遅ければ「命に関わる状態」と医者に宣告されました。

盲腸とわかるまでの痛みに耐える日々、術後の傷口の痛さ、何ひとつ自分ひとりではできない無力感。あれほどの地獄はもう絶対に経験したくない。

手術は成功し幸運にも今は元気に、特に後遺症無く過ごせていますが、術後1年ほどは体力が落ち普通に生活できない状態だったのでこれからの人生がとても心配でした。

 

…という経験をしたので、死にかける以前、以後では全く違う心のあり方で生きています。

正直、それまでの自分はぬるすぎた。元気に生きていることのありがたさに気づけていなかった。

盲腸になる、といったって軽い状態で発見できればそこまで大惨事にはならないのですが、私は重症だったので盲腸が人生を変える特大の経験になりました。

 

死にかける経験、20代のうちに経験する人はそんなに多くないですよね。

私だってまさか自分がこんな事になるとは思ってもみなかったです。

かなり稀少性の高い経験だと思うので、死にかける経験をした後、私がどのような気持ちで生きているのかまとめていきます。

 

 

願望を叶えることに貪欲になる

病気をする以前の私は、自分の人生に真剣に向き合えていませんでした。

「いつか小説を書いてみたいな〜文章を書く仕事をしてみたいな〜」→というゆるい妄想をしておわり。文章は何も書いていない。

お恥ずかしいですがこんな感じでした。

いつか、いつか、、と願望を思うだけで何ひとつ行動に移していなかったのです。

 

しかし、死にかける経験をして「本当に明日いきなり人生が終わることもある」ことを強烈に知ってしまったので、「いつかではだめだ、今すぐやらないと」という思考になりました。

死を意識するほどの状態にあったときに、何も作品を残せていないのにこのまま死にたくない…これまで自分はなぜやりたいことをすぐやらなかったんだろう、とめちゃくちゃ後悔しましたね。

 

紆余曲折を経ながら、今ではかなり「やりたいことを、すぐやる」習慣が以前よりは身についたように思います。

やりたいことをやるために手離したものもたくさんありますが。

 

自分の中の優先順位をきちんと決めて、その上位の願望から順に叶えていく。

この習慣は一朝一夕で身につくものではなかったのですが、若いうちに身につけるほど良いです。

もっと早くそういう生き方ができていれば、、と思うことは今でもたまにあります。

 

ひとつひとつの経験の嬉しさを噛みしめるようになる

これまで当たり前にできていた食事、お出かけなど元気な人にとっての「普通」ができない期間がかなりあった(しかも20代後半という黄金期)ので、死にかける経験をしてから幸せのハードルが下がりました。

美味しくご飯が食べられることの幸せを毎日めーっちゃ噛み締めているので、一食一食の食事を大事にしています。

毎日贅沢をしているわけではないのですが、だいたい手作りで、外食だったらめちゃくちゃ食べたいものを食べています。

 

それから行きたいところに行けたら、5年前の私よりもっとじわじわと幸福感を味わっています。

行きたいところに行けるって、健康で、時間があって、お金があって、場所によっては一緒に行ける人がいて、初めて成り立つすごいことだからね!!

一度「普通」をなくすといろんなことが当たり前ではないのだと、気づかされます。

 

ちょっとしたことでも幸せに感じられる体質になりましたね。

凹んでやる気が出ないという状態はゼロではないけど、以前に比べるとかなり少ない。

「それをやっている状態は幸せではない」というものを避け、「幸せだな」と思える時間を増やすことは常に追求しています。

 

余談ですが、ほとんどの雑誌は元気な人のためにあるものだと、自分が弱った状態になって初めて気づきました。

おしゃれをする、綺麗になる、お出かけする、趣味を極める、、これまで興味を持っていた雑誌達は、弱った自分には必要のないものでした。

雑誌なんて自分には必要ではないと思ってしまった期間を思うと、今では雑誌を買うことも喜びに溢れている。

 

人の目をそこまで気にしなくなり、自分の人生をまっとうしようという気持ちになる

以前の私は、こういう選択をしたら人にこう思われるだろう、ということを少しは気にしていました。

有名大学に行きたい、とか。働くなら正社員じゃないと、とか。ある程度有名な企業で働いた方がウケがいいんじゃないか、とか。

 

しかし、今となっては自分の生き方をどう思われるか、ほっっとんど気にしていません。

今の私は結婚して主婦をしながらブログを書いたり小説やエッセイを書いたり、かなり好きに時間を使っています。

どこかに所属しているステータスもないし、別に収入がすごく高いわけでもないです。

何か社会一般的に「認められる」ものは今そんなにないけれど、それでも自分がこの人生に、選択に満足している。

その満足感があることが一番だと思っています。

もちろん今のところも自分の実力がなさすぎる〜と悔しく思うこともありますが、人の目を気にしすぎていたあの頃から比べたら別人です。

 

5年前の私よ、聞いてほしい。今の私は「自分の人生なので、好きに生きますよ!!」ぐらい振り切れているよ。

自分のやっていることを否定されるような場には行かないようにしてるけれど、たとえ否定されても「あ、そうですか」ぐらいで終わりますよ。

一度死にかけた後の振り切れ方は結構すごくて、たぶん以前の私のような生き方をしている人から見れば「えっ?」という感じだと思います。

でも時間はもう戻らないので、以前の自分にも戻れないのです。

今はただ自分の人生を全うしつつ、このような自由な私を応援してくれる夫に感謝するばかりです。

 

 

おわりに:病気はギフト。でも死にかける経験などなくても自分の人生を生きられていればそれが一番です

病気はギフト、という言葉は真実だと思います。

これは強がりでもなんでもなくて、病気によって与えられる気づき、学びがとても大きいから。

病気による方向転換がなかったら今の自分はどうしていたか、想像もつかない…

まぁ本当は死にかけなくても自分の人生を生きられていればそれに越したことはありません。

 

人にはあまり話さないこともこの記事には込めましたが、何か参考になるところはあったでしょうか。

この記事をここまで読んでくださったあなたが、満足できる人生を生きることを願っています。

 

アイキャッチ画像:Photo by JOHN TOWNER on Unsplash