森見登美彦さん原作の映画「ペンギン・ハイウェイ」を観に行って来ました。
あらすじ説明なしで思ったことを書いていきます。
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この映画を観て思い出したのは、純粋な探究心という感覚だ。
小学生の主人公、アオヤマくんから何度も何度も発せられる「なぜ?どうして?」に、特に目的がなくても考えたり検証することが豊かさにつながるなと思った。
私自身、年を重ねるごとに、何か役に立つことのために勉強することが増えてきたなという感覚があって。
例えば試験に受かるためとか、事業のためとか、何かの目的あっての勉強、ということの割合が増えていった。
でも別に目的なんかなくたって、興味がある!とかなぜ?って思ったら探求してみていいと思う。
そういう余裕が、まわりまわってどこかで自分のやってきたことと繋がるかもしれないし。
この映画を見る前にジュンク堂書店をあてもなくぐるぐると歩き回っていたんだけど、それはちょっと純粋な探究心を思い出させてくれる体験だった。
歩いても歩いても、面白そうな本ばかり。
普段は行かないような建築本や宇宙本の売り場もふらふらしたりして、少しでも気になったらぱらぱらと本をめくってみる。
芸術本の売り場では400ページを超えるずっしりとしたクロード・モネのノンフィクションの本を手に持って、「モネは好きだけど、その人生についてはよく知らなかったな」と思ってみたり。
目的なく本屋をゆっくりと歩くのは、とても贅沢な時間だった。
世界は面白いことに満ちている、と本屋は思わせてくれる。
でもきっと、本屋以外の日常の風景にも面白さはたくさん落ちている。
それに気づける子供のような感性を、持っていられたらなと思った。
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アオヤマくんは日々勤勉にノートを書き続け、仮説→実験を繰り返している。
知識豊富でたいていのことはわかってしまう、ちょっと生意気な小学生。
しかしそんなアオヤマくんにもわからないことがある。
それは、なぜ歯医者のお姉さんに惹かれるのか、ということ。
おっぱいに翻弄され、顔には遺伝子レベルで完璧な魅力を感じる。
でもその気持ちをうまく表現することはできないし、言葉にもできない。
好き、という気持ちはどれだけの仮説→実験を繰り返してもわからないものなのかもしれない。
段階を踏んで解明されていく科学の世界と、どこまでいってもわからない感情の世界の対比がこの物語の面白さだった。
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アオヤマくんは大人になるまでの日数をカウントダウンしていて、いつか自分は大物になることを信じてやまない。
遠くを見据えて、今がんばって勉強している。
私も大人になったら…!とかあれこれ考えて過ごしていたら、未来は変わっただろうか?
こんなに考えて、過ごしてはいなかったな。
好奇心のかたまりのアオヤマくんのまわりには面白いことがたくさん起きるし、いい仲間がいっぱい。
いつも仲良しなウチダくんに、知的なハマモトさん、歯医者のお姉さん。そしてペンギンたち。
探究心のままに生きていたら、どこに行けるんだろう、どんな仲間に出会えるんだろう。
そんな爽やかな期待感を終始抱かせてくれる、夏にぴったりの映画だった。
原作本