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【2018年7月にnoteに投稿した記事です】
2ヶ月ほどかけて、アニメ「アルプスの少女ハイジ」全52話をすべて観た。今まで観たアニメがそんなに多い訳ではないけれど、私の中では「好きなアニメランキング」堂々の一位。ここまでアニメの世界観に魅了され、共感し、勇気をもらった作品は、「ハイジ」が初めてかもしれない。時代を超えて受け継がれる真の名作だと思った。
「ハイジ」にあふれる本当の優しさに心を打たれつつ、私は「ハイジ」に出てくる大人たちに興味を持ったので今日はそれについて書いてみます。
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ハイジに出てくる主な大人は、4つのグループに分けられることに気が付いた。
クララの父・ゼーゼマン、クララの医者、クララのおばあさま
この方達は、教養があり、人を想う気持ちがあり、ユーモアもあって、お金持ちで…まさにすべてを持っている。本当の富裕層とはこういう人のことを言うんだなと思った。お金は持っているけれど、お金だけがすべてではないことも知っている。目下の人や動物にも優しく、子供には自分の要望を押し付けるのではなく対話を大切にする。特にクララのおばあさまの企画力、コミュニケーション力はすごすぎる。普段は都会暮らしなのに山の生活にもさっと馴染み、村の人々を巻き込んで盛大なパーティーを開催していた。
ロッテンマイヤー、デーテ
子供など力の弱い人を無理やり従わせようとし、あれもだめこれもだめと視野が狭い。子供の自発的な意欲や自信を奪ってしまう存在。あと、お金さえあれば、という意識がある。ロッテンマイヤーはアルムの山に来た際、困ったことがあるとすぐにお金で解決しようとした。ロッテンマイヤーさん、しっかりとした熱心な人ではあるけれどクララとハイジに対する接し方が違いすぎてハイジがかわいそうだなと思うことも。デーテは実入りの良い仕事を自分がするために、預かっていたハイジを無理やりアルムおんじのところへ連れて行き、再び山を訪れた際は華美で都会的な格好を見せつけるようにやって来た。
アルムおんじ(おじいさん)
村の人々(=一般庶民)から距離を取った孤高の存在。お金持ちではないけれど、大工仕事などの技術力があるため、自分で作った商品をパンなどの食べ物に換えて食料を得ている。時間や人間関係に縛られないゆとりのある生活を送っている。アルムおんじは洞察力に優れ、動物や子供の気持ちがよくわかる。クララが立てるようになったのは、アルムおんじの影響が大きいと感じた。見守る時はじっと見守り、助けが必要な時はさっと助け、非常時にはとにかく頼りになる。おんじはイケメン…!
デルフリ村の人々
いつも人の噂話ばかりしていて、人の動向が気になってしょうがない。アルムおんじが村をとおっただけで噂話の大合唱。学校に通う子供たちは、みんなと同じようにできない人を笑い、文字が読めないハイジをばかにしていた。大人たちは時間にもお金にも余裕がない。ここにいる限りは働きづめの生活からは逃れられなさそう…わるい人たちという訳ではないけれど、群れの中でしか生きられず、いろんな点で自由がない人たち。
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ヨハンナ・シュピリが書いた原作が発行されたのは1880年のこと。今から138年も前、それもスイス、外国の話だ。しかし、2018年に生きる日本人の私が見てもどこか普遍性が感じられる。(日本に合うようにアニメ化に際してアレンジされているけれど)現代の日本にも通じるようなところが多々あった。もちろん今の日本は当時よりずいぶん技術が発達しているし、4つのグループには振り分けきれない、いろんな人がいるけれど。
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この記事で書いた大人たちのこと以外にも、学ばせてもらったことが本当にたくさんあった。ハイジのひたむきさ、明るさ、人や動物への優しさ…ハイジがいるだけで周りの人に幸せが広がっていく様子は見ていて心があたたまった。私も含めアラサー世代以下の人は、ハイジを観る機会がなかなかなかったと思うし、CMのパロディーのイメージが強かったりするかもしれない。でも、すべての日本人に観て欲しいと感じるくらい素晴らしい作品だったのでぜひいろんな方に観てもらえたらいいなと思う。
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