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規制緩和後の土曜日のデュッセルドルフ旧市街は浮き足立っていて、すれ違う人の多くがアイスクリームを食べている暑い日だった。カフェのテラス席はどこもかしこも満席。コロナ渦という長い冬の終わりをお祝いするようなムードに嬉しくなりつつも、こちらに来て初めて味わう活気に少々押され気味だった。
外を歩いていても暑いので、美術館に入って涼みたいねということになった。そこで、以前から気になっていて現在いる場所から近かったK20(州立美術館)に行くことに。そこまで時間に余裕がなかったので企画展のみのチケットを購入。
高校生の頃から、現代美術の展覧会に行くのが好きだった。美術を学んだことがあるとか、詳しいという訳ではない。ただ、「何これ!!?よくわからんけどかっこいい!!」みたいな圧倒的なものに触れて、「自分ももっと狂ってもいいのでは?」と思う時間に癒される。
これまで数十回現代美術の展示を見てきたけれど、今回見た展示は特に難解で、恥を承知で言うと9割5分ぐらいよくわからなかった。同行していた夫も同じ感想だった。ドイツ語か現代美術、どちらかの知識があればもっと楽しめたのかもしれない。
オブジェや映像、写真、どれも作品の核を掴むことはできないけれど、なんとなく政治的なメッセージやパワーだけは感じる時間を過ごした。
唯一わかりやすくて「おぉ!!」と思ったのがこちら。音を立てて崩れるキャピタリズム(資本主義)。映像の作品になっていて、メラメラと炎が燃えるさまや破壊の過程に見入ってしまった。
(ヨーロッパでは作品の撮影はオーケーなところが多い。場所によるけど)
思えば、この一年以上美術館に行くことがなくて、美術に触れる時間自体が新鮮だった。広告のない表現に触れる時間は贅沢で、下心のないストレートな表現は純粋で美しく感じられた。
気がつけば毎日広告ばかり見ている。(という話を、広告貼りまくってるこのブログでするのもなぁと思う気持ちもあるけど)
YouTube、Twitter、Instagram。ネット記事も対談かと思えば本の宣伝だったりすることはよくある。自分もブログをやってるし、ネットビジネスや起業の話が好きなのでついそういったコンテンツに囲まれがちだ。でも、いざ広告から離れた表現の場に物理的に身を置くと、売りたい気持ちが裏にない表現にもたまには触れたいなと思った。そういう空間には無防備でいられるのだ。広告を目にするときは流し見なことがほとんどで、じっくり見る時はこれは本当に欲しいものだろうか?とか胡散臭くない?など、守りの意識が反射的にはたらく。それは感覚を閉じることでもある。心をのびのびとさせ、ただ感じることに徹するには広告のない世界に行かなければならない。
展示の内容を理解できればもっと楽しめたかもしれないけど、久しぶりに非日常の時間を過ごせた。常設展の方はピカソやシャガール、ダリなど有名画家の絵が多く展示してあることを帰宅してから知ったのでまた行ってみたい。相変わらず行き当たりばったり。