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「ウィステリアと三人の女たち」あらすじと感想 | 藤の花と、「わたし」の幸せ

ウィステリアと三人の女たち

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藤の花を最後に見たのは1年前のゴールデンウィークで、新宿御苑に行ったときのことでした。

その日は嵐のような天候で雷鳴に怯えながら雨宿りをしたのだけど、雨上がりに見つけた藤の花はこの世のものとは思えない美しさで。

藤の花を見た時、「わあ!綺麗!」というテンションではなく、「わあ…綺麗…」とため息が出るように見惚れてしまったことをよく覚えています。

しなだれるような姿は艶やかで、地に降り注ぐ花びらは繊細。

風が吹けば吹き飛ばされてしまいそう…だけど、先ほどの嵐にも耐えたということは、実は強いんだな。

新宿御苑の藤の花は鮮烈な印象で、すっかり魅了されてしまい、今年もどこかに藤の花を見に行こうかなと思っていたところ(見頃は4月下旬〜5月上旬)、小説の中で先に出会うこととなりました。

藤の花

↑2017年5月に撮影した新宿御苑の藤の花

川上未映子さんの新作「ウィステリアと三人の女たち」は、4作品からなる短編集。

表題作「ウィステリアと三人の女たち」は藤の花が重要なモチーフとして描かれていて、藤の花がたびたび出てきます。

読み終わってから調べて知ったけれど、「ウィステリア」は「藤」の英名のようです。

この記事では、表題作の「ウィステリアと三人の女たち」のあらすじ、感想を書いていきます。

短編「ウィステリアと三人の女たち」のあらすじと感想

物語は、かつて老女が住んでいた大屋敷が取り壊されているシーンから始まります。

”まるで幼い子どもがフォークをふるって、でたらめにケーキを切りくずす時のように”

壊されていく家を眺めているのは、近所に住む38歳の「わたし」。

3歳上の夫と結婚して9年になるが、不妊治療のことで意見が食い違ったこともあり、仲は冷めきっています。

わたしはある日、夫が出張で家に居ない真夜中に、壊されかけの大屋敷に忍び込んでみることにしました。

暗闇の中を進んでいってある地点に辿り着いた時、仰向けになって住人の老女の歩んできた人生を想像します。

想像なのか、回想なのか、老女の記憶あるいは魂がわたしに乗り移ったのかは、定かではないけれど、ここからかなり長めの「老女の半生の回顧」が続きます。

老女はかつて女性の外国人教師と自宅の大屋敷で英語塾を営んでいたようでした。

その当時のことはあまりに眩しく、ときに悲しいものでした。

その後、わたしは大屋敷を後にして帰宅。

雨でずぶ濡れになって帰ってきたわたしへ向ける夫の質問を突っぱねてーーー

…という感じです。

示唆に富む文章が散りばめられた作品で、これはこういうこと?ここと繋がる?と色々と想像してみたり…

普段使わない脳の部分の引き出しを開けながら、じっくり味わって読ませていただきました。

印象に残ったのは、老女の半生のこと。

人生でただ一人好きになった女性の外国人教師と結ばれることはなかったが、外国人教師を心から愛しました。

そして、自分なりの仕事を持ち、その思い出を大事に抱えて生きている。

老女が外国人教師を思う心がとても伝わってきて、これが性別も国境も越えた愛なのだと思いました。

簡単に壊されていく大屋敷と、決して壊されない、失われない老女の人生の記憶。

人生の儚さや、老女の魂の強さを表しているようでした。

独自の価値観を貫き、自分なりの幸せを見つけた老女とは対照的に「わたし」はまだ暗闇の中にいました。

夫との会話はないに等しく、子供を授かることもできず、いわゆる「女性としての幸せ」は手に入れていない。

真夜中の大屋敷をわたしがおそるおそる、慎重に進んでいく様は、まだ自分なりの価値観を手に入れていないわたしの象徴のように思えました。

さて、「ウィステリア」というのは藤の花の英名ですが、これは老女が、愛する外国人教師から与えられた「本当の名前」でした。

ある日、ふたりで藤の花を眺めているときに、「ウィステリア」と呼んでいい?と聞かれるシーンがあります。

「人にはみんな本当の名前というものがあって、わたしにはそれがわかるんだ。しばらく一緒にいるとね、その人の顔の真ん中からある日とつぜん名前がやってくる。きみがウィステリアだってことはすぐにわかった」
「日本人でも?」
「名前と見かけは関係がない」外国人教師は言った。

老女は「ウィステリア」という名前をたいそう気に入ります。

この物語は「ウィステリア」という本当の名前、つまり本当の自分というアイデンティティを獲得していく物語なのかな、と思いました。

獲得するというと自分で手にするみたいだけど、それは人との関わりの中で与えられるもの、でもあるんですね。

自分と他人を区別するもの、自分らしさ。

それは女だから、とか日本人だから、というわけではなく、自分の感性と愛する人が決めてくれるものなのです。

藤の花の花言葉は、「優しさ」「歓迎」「決して離れない」「恋に酔う」だといいます。

読み終わってから調べたのですが、これらの要素が藤の花のように美しく降り注ぐこの物語は、本当に、奇跡のように素晴らしいものだと思いました。

おわりに

短い作品の中に、本当に多くのメッセージが込められていて、しかもそれが直接的ではなくふわっと香り立つような上品さで、文学の凄みを味わいました。

読んでしばらく経ってから、じわじわ込み上げてくるものがあり、この数日間は「ウィステリアと三人の女たち」の世界に浸りっきりでした。

ブログにどう書こうか試行錯誤していた時間が長かったというのもありますが…

装丁もめちゃくちゃ可愛くて好みですし、大切な一冊となりました。

印象に残ったフレーズ集

何かをはっきりさせるにはそれなりの責任が生まれるって話

ただ壊れていくことと、壊されるということは、別のことなんです

どんな夜にも光はあるし、どんな小さな窓からでも、その光は入ってきます

帰ろうと思えばいつでも帰ることのできる場所なんて、そんなもの本当にあるのだろうか

参考サイト:藤、Wisteria – 花言葉由来

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