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川上未映子さんの長編小説「あこがれ」を読みました。
実用書を読むことが多かったので、長編小説を読むのは久しぶり。
甘いだけのお話ではなかったけれど、なんだか夢心地でいい気分になれました。
目次(タップした項目に飛べます)
概要
第一章 ミス・アイスサンドイッチ
第二章 苺ジャムから苺をひけば
…という二章構成です。
主人公は小学生の麦彦(男)とヘガティー(女)
第一章は麦彦が語り手に、第二章はヘガティーが語り手となって物語が進んでいきます。
二人とも幼いうちに親を亡くしており、麦彦は母と祖母と、ヘガティーは父と暮らしています。
親を亡くすというつらい経験をしたこともあってか、二人はどこか大人びていて何かを悟っているような子供です。
大人に遠慮している節もあって、本心をなかなか見せようとしません。
第一章において、麦彦は近所のスーパーのお惣菜売り場の売り子さんの「ミス・アイスサンドイッチ」にあこがれています。
愛想が悪くお客とトラブルを起こすこともあったりと、決して模範的ではない売り子の彼女ではありましたが、テキパキと仕事をこなす姿やクレームに屈しない毅然とした態度に麦彦はつよく惹かれていきます。
普段当たり前と思っていることも、子供はこんなふうにいちいち疑問に思ったり、素敵だなと思ったり、傷ついたりするんだなーと、子供ならではの感受性の豊かさを思い出すようでした。
長く、まどろんでいるような美しい文章で、一文一文噛みしめるように読みました。
第二章は、第一章から数年経った設定で、二人も更にしっかりしてきます。
ヘガティーは、ふとしたきっかけで父は再婚者で前妻との間に娘がいる、つまりヘガティーには姉がいるということを知ってしまい、その姉にあこがれを抱くようになります。
姉に会いに行く計画を立て、麦彦を連れて行くのですが…
語り手が第一章と変わり、文体も短めでシンプルなものにガラッと変わりました。
サスペンス的な要素が強く、「これからどうなるんだろう…?」と心をざわつかせながら読みました。
感想
あこがれはあこがれであり、現実ではないんだ
麦彦もヘガティーも、あこがれが強すぎてあこがれの対象(麦彦→ミス・アイスサンドイッチ、ヘガティー→会ったことのない姉)に直接会うことはためらっていましたが、お互いの後押しがあって直接会う覚悟を決めました。
二人とも、自分ひとりではあこがれの気持ちを抱くだけで、いざ行動に移さなかったと思います。
二人の信頼関係というか、純粋に相手の幸せを願ってアドバイスする姿がすごくいいなと思いました。
麦彦はミス・アイスサンドイッチに、ヘガティーは姉に会い、あこがれの気持ちを伝えるのですが、どちらもあっけなく終わってしまい、膨らみまくったあこがれの気持ちのもっていきどころがわからなくなってしまいます。
あこがれられている側としては、知らない人に勝手に思われているだけで、なんとも思わないんですよね。
麦彦とヘガティーは、自分の気持ちと相手の気持ちのギャップに驚くのですが、こういう気持ちの重さの違いを知って、大人になっていくんだよなぁと思いました。
大人になると、子供の頃ほど、接点のないものに強くあこがれることがなくなっていきます。
子供の、強烈に何かにあこがれるという気持ちは、本当に尊いしそのときにしか感じられないものだなと。
あこがれ→挫折→試行錯誤、を繰り返して、大人になってきたんだったなってことを思い出させてくれました。
小学生の頃にしか抱けない強い想いやきらめきを、本当に丁寧に描いています。
体当たりでぶつかっていく人にしか出せないきらめきです。
大人びた子供たちと、ふわふわした大人たち
麦彦もヘガティーも、子供らしい無邪気さのない、どこか冷静でクールな子供でした。
逆に、彼らの親はスピリチュアルな占いに傾倒していたり、どこか方向性がつかめずふわふわしているようでした。
子供だ、大人だ、と年齢で人を判断するのではなくて、これは人間同士の物語だ、と物語の後半ぐらいから、そう思いました。大人びているヘガティーが、知りたくなかった事実を知ってしまい泣いて走るところは、今まで我慢していたものがワッと噴き出すようで、読んでいてひりひりしましたが。
おわりに
「あこがれ」は、人のネーミングが面白くて、それが物語の世界観を色づけているなあと思いました。
ヘガティーは「屁」がお茶(ティー)の香りがする!って麦彦が言い出したのが始まりです。
おしゃれっぽい名前なのに由来を聞いて一本とられた!という気持ちになりました笑
ミス・アイスサンドイッチにドゥワップ、チグリスとユーフラさん。
異国のようだけど、これは日本の中のどこかのお話。
身近な話のようで、どこか遠くに連れて行ってくれる気がするのは、これらのネーミングのおかげかもと思いました。
誰かに、何かに心からあこがれること。その原点を見つめなおせる作品でした。